「書生」時代
中学卒業のとき、某大企業の入社試験に失敗した私は、失意の内に名古屋のある弁護士事務所で働くことになった。
給料は5,000円。夜間高校の授業料が1,000円。だから毎月3,000円を家に入れることが出来た。母はその金を仏壇に供え、祖母と共に大そう喜んでくれた。その光景を見て私は、やっとこれでよかったと思えた。兄と姉も同様に夜間の大学や高校へ通い、年老いた祖母と妹を含めた6人の母子家庭は羽を寄せ合うように生きていた。夜間だとは言え、当時としては上級学校へ行くことが出来るのは幸せな事だった。
弁護士事務所は先生の邸宅の別棟にあり、事務所員は私一人だった。私の呼び名は「書生」。
だが、書生とは名ばかりで、まさに小間使いだった。玄関、事務所、トイレの掃除をし、それが済むと弁護士が書きなぐった書類を整理し、カーボン紙を敷いて書き直して1部を裁判所へ届けた。
事務所での仕事は嫌いではなかったが、弁護士には私より一つ年上の娘と一つ年下の双子の息子とがいて「書生さん、これを」と忘れ物や傘を彼らの学校へ届けさせられたりした。そこまではまだよかった。我慢できなかったのは宿題をやらされることだった。純な16才の私の正義感や自尊心が許さなかったのだ。今思えば、自分と同じような年の子供でなかったら許していたかも知れないのだが…。
1年程経ったある日、ついに私は置き手紙を残して事務所を去り、書生の仕事に別れを告げた。