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心のページ
このページは市民から人格者と認められ、思想的に偏らない方に事務局からボランティアをお願いし、悩みの多い青少年や市民にメッセージを送っていただくコーナーです。

松田 保さん

1948年滋賀県生まれ。
金沢大学教育学部卒業。県立甲南高校、県立守山高校、県立守山北高校にて33年間の高校教諭を務める。その間、1993年よりU-15、16、17の日本ユース代表監督に就任し、1994年第6回U-16アジアユース選手権大会優勝。翌年の1995年には、第3回U-17ワールドユース選手権大会の指揮を執る。2001年には日本サッカー協会公認S級コーチライセンス取得。現在、びわこ成蹊大学スポーツ大学スポーツ学部競技スポーツ学科助教授。

今週(10月21日号)、毎日新聞の情報紙
「Oh!Me」に掲載された心のページ

1ドル80円の幸運

1995年は、サッカーU-17日本代表チームにとって、幸運な年であった。円が急騰し、1ドルが80円台までになったのだ。日本国内で合宿するより海外に出たほうが格段に費用が少なくすむ。また、「2002年W杯誘致」が至上命令の日本サッカー協会は、惜しみなく海外遠征費を出してくれた。
知的好奇心が高まる小学校高学年から中学、高校時代には、どんどん世界の同世代と戦うべきである。特に、海外での試合を経験することで、若い選手の精神面は驚くほど鍛えられる。小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら「黄金時代」の海外修行は、1994年4月、U-15時代のアメリカ遠征を第1回として、21ヶ月で9回、12ヶ国にものぼった。中でも1995年のU-17ブラジル代表との対戦は、「僕らはアジアのチャンピオンだ」という自負を持っていた日本の少年らに、強烈な印象を残した。サッカーをやっている選手にとって、ブラジルは夢の国。さらに、舞台は世界一の大きさを誇るリオ・マラカナンスタジアム。そこで次代を担うブラジルのユース代表と対戦したのだ。得難い経験だっただろう。いまから振り返れば、U-15からU-17の世界遠征は、「世界を相手に怖いもの知らず旅」だった。もちろん、海外旅行ならではのアクシデントを数多く経験した。それでも、選手らもスタッフも士気を保って「珍道中」を続けた。選手の一人が言った。「監督、なんとかなるものですね」と。この大胆さと図々しさを身に着けただけでも有意義だった。
若い選手には、世界にはとてつもない奴がいるということを、ある段階で知ることが重要だ。しかし、タイミングが難しい。「おれには全然できない」と完全にお手上げになる段階ではなく、「もう一歩伸びたい」という時を狙う必要がある。
小学校の教師だったわたしの父は、還暦と退職の記念に「」と書いた扇子を記念に配った。「」とは、雛が卵からかえるとき、親鳥が中からつつく音を聞き逃がさず、外からつつき返して殻を割ってやることだ。早すぎても遅すぎても雛は育たない。すべてタイミングが大切なのだ。

・・・読み:そったく

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