| ヴォーリズ来日100周年記念特集 [ 前編 ] |
| ヴォーリズ来日100年 今、私たちが学ぶべきもの |
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100年前ヴォーリズが乗ってきたチャイナ号 (帆船に蒸気機関をプラスしたこの時期独特の汽船) |
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| ◆多発する青少年の犯罪… ヴォーリズはすでに100年前、今日の歪んだ社会を心配していた 21世紀がスタートして5年、政治、経済、環境問題などすべてが不安定な状態にある中で、私たちは悲しい事件に何度も直面しています。 特に、青少年の問題行動、長崎県で起こった殺人事件をはじめとして、各地で起こる青少年がかかわる重大な犯罪には驚くばかりです。 こうした犯罪を犯した青少年たち、あるいは補導される青少年たちにはある共通点が見えてきます。それは、歪んだ家庭環境です。警察白書によると1年間に126万人の青少年が検挙、補導されます。そのうちの半数近い子どもたちはアンケート調査に対して「自分は親から愛されていない」と答えています。また、家庭裁判所から少年院やその他の施設に収容される子どもたちの半数以上が親から虐待を受けているのです。さらにそうした子どもたちのほとんどの場合、彼らは実父や実母から生活をともにできない環境に投げ出されているのです。 いきなり衝撃的で暗い話題になってしまいましたが、100年前にこの近江八幡へやって来たヴォーリズがその自叙伝の中で危惧していたことが現実のものとなっているように思えるのです。 |
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◆学校・病院・図書館…行政よりも早く機能としての街づくりを 実践していたヴォーリズ 75年前、ヴォーリズは当時のアメリカはあまりにも科学文明が進み、何もかもが機械化され、贅沢になっている。人々は自然とのふれあいを忘れ、人間として大切なものを忘れつつあると記し、その点日本はまだまだそういう状態になっていないと安心していました。 その頃、キリスト教の伝道に力を注ぐ一方で、ヴォーリズはすでに近江八幡に病院を建設、その直後には幼稚園も設立、そのほか、地域の文化基地たる図書館などを設立していました 。 それは、行政よりも早く、機能としての街づくり、そして人づくりの基本として子どもの教育の 場を作り上げていたのです。この子どもの教育とは問題行動を起こす青少年に対して、あるいは、大人になる前に幼児期のうちから全人教育の場を作ろうという意味です。
今言いたいのは、いかにヴォーリズの経営能力が優れていたかではなく、いかに彼が人づくり、街づくりに力を注いだかということです。 建築事務所を運営していたヴォーリズは著書「吾家の設計」で以下の様に論じています。
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| ◆建築作品として、奇をてらうのではなく 「人への思いやり」に満ちたヴォーリズの建築
ヴォーリズが設計を手がけた建物は学校、図書館、病院、郵便局、銀行、デパート、ホテル、教会、個人住宅、など1600(〜1942年)を数えることができます。 美しく、機能的であり、コストパフォーマンスに優れたヴォーリズの建物。 関東大震災の時、被災した地域のヴォーリズが手がけた建物は頑丈で、ほとんど被害を受けなかったと記録にあります。 現存する建物を思い起こしてみると患者のこころを気づかう造りの病院。 宿泊客の心が和むことで知られ、文化人が愛用するホテル。いまだに集客量を誇る百貨店。次世代を担う子どもたちの遊び場であり学び舎としての夢のある、健康的な造りの学校。数えるときりがなく、紹介したい建築物はまだまだ山ほどあります。 それは 都市の機能を果たすだけでなく、いつまでも愛着を感じる建物ばかりです。 |
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| ↑同志社大学アーモスト館 外観 ↑現在の近江兄弟者学園/小学校正門からみる校舎 |
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| ◆家族とは…人の道とは… 良好な地域のコミュニティーこそ問題解決の原点 ![]() 近江八幡に都市の機能を担う施設の建設を進める一方で、ヴォーリズはさらに人づくりを進めました。 コミュニケーションの最小単位、それは家庭です。家庭のあり方を説き次にそれぞれの家庭が集まって構成する地域(集落)、そして街へと…。 家族とは何か、人の道を説きつつ、人づくりを進めたのです。 高校の英語の教師から始めて高校生、社会人に宗派を超えたキリスト教の伝道、さらに進めて、原点に近い部分で幼児の教育を手がけたのです。その幼稚園は今では高校まで 一貫した 学園を形成しています。 幼児期から始める人づくり。それは街中の大人たちがひとつに なって子どもたちのあたたかい心をはぐくみ育てようという地 域 システムです。そうすることによって大人同士の共感も保てるわけです。 こうした、良好な地域のコミュニティーこそ、まさに今さまざまな地域が求めているものだと思います。 ヴォーリズの少し前の世代に同じくクリスチャンで幼児期からの子どもの教育に対して「予防教育」ということばを用いた教育者がいます。
そうしたことがこころの通い合う家庭を築き、それが地域、街へと広がっていく…。 まさに、予防となり、こころゆたかな街づくりへとつながるのです。
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| ◆ヴォーリズがこの地に残した 人づくり、街づくりの基本をいかに継承、発展させるかが課題 いま、全国的にも、地球規模的にも、豊かで、後世に継承すべき貴重な自然環境を持つ滋賀県。そこには人づくり、街づくりにひたむきに生きる人々がいます。 しかし、現代における文化は、ヴォーリズをしてもその創造をはるかにしのぐ勢いで高度に成長と発展を遂げています。 問題はヴォーリズがこの地に残した人づくり、街づくりの基本である「ヴォーリズ精神」をいかに継承、発展させるかにあると思います。 幸 いなことに、現在はヴォーリズの思いを受け継ぎ、その精神を着実に継承している人たちがそれぞれの分野にいらっしゃるわけですが、そうした人たちの努力に敬意を払うとともに、この精神を次の時代に引き継ぐことを忘れてはならないのです。この街に暮らす市民の意識、理解がその強力な原動力となることを忘れないでほしいと思います。 文/小山耕一 NHK大阪チーフディレクター 武庫川女子大学教育研究所 カウンセリングルーム研修相談員 |
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◆ヴォーリズの足跡Vories Forever 100年前の明治38年2月2日来日 明治38年(1905)2月2日、寒風吹きぬく近江八幡駅に一人の米国人青年が降り立った。その名はウィリアム・メレル・ヴォーリズ、24歳 。彼は滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)の英語教師として来日。ここで多くの若き青年たちと出会うことになった。しかし、人なつっこいヴォーリズの人気の高さは逆にキリスト教と仏教の対立を生み、わずか2年で教師の職を解かれてしまった。 だが、ヴォーリズと近江商人の卵たちとの熱い絆は、彼を生涯近江八幡の地に留めることになった。彼は一旦帰国して翌年、建築家レスター・チェーピンと共に再来日、商業学校を卒 業したばかりの吉田悦蔵青年と3人で、キリスト教伝道のかたわら生活の糧を 得るために 建築設計の仕事をスタートさせた。
大正8年、日本人女性一柳満喜子と結婚。 第二次世界大戦勃発の昭和16年頃には、ほ
とんどの外国人が帰国したにもかかわらず、彼は一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改名して日本に留まった。第二次世界大戦という極限状態を乗り越え、山あり谷ありの人生を突き進んだのである。そして終戦後、『昭和天皇とマッカーサーの会見』につながる大きな働きをした。 出典/写真集「日本人を超えたニホン人」
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