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父の志 引き継ぎ 信楽焼を極める

掲載日: 2015.08.12

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陶芸家 古谷 和也さん(甲賀市在住・39歳)

人気陶芸作家として活躍中の古谷和也(ふるたにかずや)さん。父は信楽で穴窯を復活させた信楽焼の第一人者、古谷道生(みちお)さん(1946~2000)だ。道生さんの志を引き継ぎ、窯と焼き物作りに励む。

作り手の魅力にハマる

小学生のときから粘土細工で遊び、道生さんの窯たきも手伝っていたという和也さんだが、道生さんの「作品を生み出す苦しみ」を間近に見ていたので「自分に はできない」と思っていた。短大では造形美術を専攻したが、作るよりもギャラリーに勤めて売ることでアートに関わっていきたいと考えていた。卒業間際に道 生さんから「作陶を勉強してからでも遅くない」と陶芸修行を勧められ、京都府立陶工技術専門学校に進む。「ろくろ」と格闘する毎日。腕はめきめき上達し、 作陶の世界に引きこまれていった。休日は美術館で本物に触れた。「売り手」よりも「作り手」の魅力にハマってしまった。
「今思えば、作り手の仕事を継いでほしかった父にうまく導かれました」

 

「湯飲み1万個作れ!」

専門学校を卒業する直前に道生さんががんで倒れた。家に戻り、道生さんが亡くなるまでの2年半、徹底的に指導を受けた。
家に帰った当初、穴窯を使わせてもらう条件として「湯飲みを1万個作れ」と言われた。湯飲みには陶芸の基本が全て入っている。数を作ることで土を体で覚えさせたいという道生さんの思いがあった。意地でも作ってみせると頑張り、2年半で3万個以上を作った。
「このとき身に付けた技術が今の私の基本となっています」
道生さんの死後、作品を発表し始めたが、「親の七光り」「息子だからできて当たり前」などと厳しいことを言われた。
父が作った窯を1年間使ったが、その後は自分らしさを出したいと考え、父の窯と土は使わないと決心した。

悩んだ世襲いまは感謝

最初のころは「(作風が)お父さんとそっくり」と言われることに悩んだ。しかしそのうちに、「まだ駆け出しなのに、父に似ていると言われるのはありがたい ことだ」と思うようになった。逆に「父がやり残したことを成就して、その上に自分らしさの出た作品を作ろう ! 」という思いが起こってきた。
窯作りを探究した道生さんのように自らも窯作りに挑戦。やがて、作品が評価されるようになり、2003年には池袋東武百貨店で初めて個展を開き、成功を収めた。
以来、全国のギャラリーやデパートで毎年6~7回、作品発表を続けている。
作品作りに煮詰まると今でも父を思い出し、父も同じように悩んでいたんのだろうかと自問する和也さん。信楽に生まれたことに感謝し、信楽焼の良さを極めていきたいという。
(取材・越智田)

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