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掲載日: 2014.11.26

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立木歯科医院・前院長 立木 彌太郎さん(近江八幡市・享年100歳)

歯科医師を勤めながら地域の活動に力を尽した立木彌太郎(たちきやたろう)さん。不愉快なことは忘れ、楽しいこと、人が喜ぶことを常に心掛ける生き方を貫き、2014年9月に100歳の天寿をまっとうした。 息子の健(たけし)さんに彌太郎さんの人生をふり返ってもらった。

苦学をして歯科医に

100歳という長生きの理由は何だったのだろうか。健さんは「父は楽しいこと、人が喜ぶことをするのが大好きでした。好きなことをしていれば免疫力が高くなりますからね」という。「好きなことをする」 といっても、わがままに生きたわけではない。「人の喜ぶこと」「人のためになること」をいつも心掛けていた。そこには人知れぬ苦労もあった。 子どものころ、彌太郎さんはトイレの中でも本を読むほど勉強好きだったが、家が貧しかったため進学を断念し、京都へ奉公に出た。 ところが、間もなく結核にかかり家に戻された彌太郎さんは勉強に励むようになる。旧制の専門学校入学資格検定に合格。さらに東京で働きながら旧制歯科医学専門学校を卒業した。

力注いだ地域活動

「歯槽のうろう予防教室」の様子

1943年、近江八幡に戻った彌太郎さんは、歯科医を目指すきっかけとなった恩人である歯科医院長が亡くなったのを受け、院長職を引き継いだ。世話になった院長の家族を助けたいという一心だった。 医院の経営が軌道に乗ると、業界の有志と共に歯の衛生協会の設立に奔走。近江八幡ロータリークラブの創設メンバーとしても活躍し、五個荘・能登川や守山のロータリークラブの設立にも力を注いだ。 忙しい中であっても楽しいことの計画に熱心に取り組み、ロータリークラブの中に謡曲部を創ったり、70歳のときにはランナーズクラブを創ってメンバーと共に走ることを楽しんだりした。 ゴルフが流行し始めると、町内会などにゴルフ愛好会を創り、多くの人たちとプレーを楽しんだ。彌太郎さんの米寿を祝って開かれたゴルフコンペには、200人ものエントリーがあったという。 「とにかく、皆さんの喜ぶ顔を見るのが好きで、皆さんから慕われてきました」と健さんはふり返る。

父親ゆずりの行動力

息子の立木健さん

健さんは大学を卒業後、大津市民病院で歯科医師を勤め、79年から父の跡を継いで立木歯科医院の院長を務めている。 医院の2階では患者にセルフケアを指導する「歯槽のうろう予防教室」を無料で開いている。彌太郎さんの精神を引き継いだもので、受講者はこの22年間で2000人を越えている。 「口の中が気持ちよくなると、気持ちが晴々し、食べ物もよく噛みますから体が健康になります。口は災いの元ではなく、長寿の元ですよ」 父親を見習って地域活動にも熱心で、86年には近江八幡を代表する祭り「八幡てんびんまつり」をスタートさせた。20年前には滋賀の経済界人200人を集めて「昭和世代の同窓会」を開催。近江八幡市立八幡小学校旧校舎が解体された時には、建物の一部を記念として同小学校の卒業生に分けるイベントを学校と共同で企画した。「楽しいこと」「人が喜ぶこと」を見つけて実行する行動力は父親ゆずりだ。 (取材・越智田)

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