心のページ
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このページは市民から人格者と認められ、思想的に偏らない方に事務局からボランティアをお願いし、悩みの多い青少年や市民にメッセージを送っていただくコーナーです。
坂井孝之さんプロフィール

昭和21年東京生まれ。
2歳の時、病気で失明。3歳より横浜訓盲学院で学ぶ。
高校2年生の時フルートと出会い、新井力夫氏に師事。
1970年第20回全国盲学生音楽コンクールにて優勝。
フルートのほか、リコーダー、オカリーナ、ケーナ、篠笛(しのぶえ)などを演奏。
「笛吹きおじさん」を自称。
現在、マッサージ、はり業のかたわら、各地で演奏活動を行っている。
2004年NHK教育TV「きらっと生きる」に出演。

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昭和49年
妹・和子(22才)の結婚式にて
左が私・孝之(28才)



今週(1月15日合併号)、毎日新聞の情報紙
「Oh!Me」に掲載された心のページ

2004.1.15



私の父は家に寄り付かない人だったので、失明した私は3歳から盲施設で暮すことになった。だから自分の家族と暮したことがない。姉と妹は母と暮したが、生活は苦しいものだった。

その妹が結婚してから子供をつれて我が家に遊びに来たことがあった。

まるで実家に帰ったかのように「今日は遊ぶぞー」と、私達に子供をまかせて琵琶湖で釣りを楽しんだ。一人っ子の妻は「和子ちゃんがね私のことお姉さんって呼ぶのよ」と、ちょっと恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに言っていた事を思い出す。明るくて、オテンバでオチャメな妹だった。

ある4月の穏やかな日、電話が鳴った。

「和子が亡くなった・・・」一瞬、体がこわばり、時間が止まった。産院で2人目の男児を産んだ直後、出血多量で亡くなったのだ。

27歳だった。

兄弟でありながら、数えるほどしか一緒にいられなかった妹がいなくなってしまった。目が見えないことや、家族と暮らせないことなど、自分の力ではどうすることもできない「変えられないこと」を受け入れることには、すっかり慣れていると思っていた私も、この時ほど「受け入れること」の難しさと、辛さに苦しんだことは無かった。

最近、20年余りたってようやく・・こうして妹を思い出すことができる。

あの時、和子が命を託した「和也君」は今23歳。

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