滋賀県の観光ガイドやエリアガイド、グルメガイドなら滋賀ガイド。地域情報満載です!

滋賀ガイド!

滋賀ガイド!トップへ

前のページへ

掲載日: 2009.01.28

素敵な人トップ

「素敵な人」の投稿は → こちら

医師・高村 利彦さん(61歳・彦根市在住)

40年以上、仲間と音楽活動を続け、医療の面からも音楽の効用を説く彦根市在住の異色ドクター、高村利彦さんが今回の素敵な人。
音楽に対する情熱は還暦を過ぎてもますます衰えを知らない。

音楽との出合い

高村さんが音楽を始めたのは、高校生のとき。当時、流行していたベンチャーズに衝撃を受け、ギターを手にしたのがきっかけだった。
毎晩のように練習に夢中になり「こら!勉強せんか」と、よく父にしかられたという。
しかし、音楽に対する興味は止まらず、同級生とバンドを組んで文化祭に出演し、周囲を驚かせた。
その後、進学で地元を離れるメンバーもあり、バンドの存続が難しくなったが、地元に残った仲間や、Uターンで帰ってきたメンバーで活動を続けた。

妻の死を乗り越えて

彦根東高等学校を卒業した高村さんは、その後、兵庫医科大学へ進学。同大学大学院を卒業してからも勤務医として働くかたわら音楽を続けた。
結婚もし、順調に人生を歩み続けていた高村さんだったが、突然、不幸に見舞われた。
1986(昭和61)年、高村さんが39歳のとき、妻が38歳の若さでくも膜下出血で倒れ、1週間後に他界した。
「医者である自分がなぜ、妻の病気を見抜けなかったのか……。こんな事でこれから医者を続けていく資格があるのだろうか? 病気に気付くのは不可能なことだったと分かっていましたが、自分を責め続けました」と高村さん。
突然妻を失って、失意のどん底にあった高村さんだったが、しばらくすると周囲の熱心な勧めもあって再婚話が持ち上がった。
落ち込んでいた高村さんを見るに見かね、父が東奔西走し、見合いの相手を見つけてきた。
そして、高村さんを実の息子のように心配していた亡くなった妻の両親が、仲人を引き受けた。結婚相手の女性(現在の妻)も、これを快く承知し、2年後、新しい生活が始まった。周囲の温かい思いが高村さんを立ち直らせた。
そして、人の温かさと共に高村さんを支え続けたのは音楽だった。
落ち込んでいた時期も、音楽に接していると、不思議と気分が落ち着いたという高村さん。このとき、音楽療法の可能性を実感し、医者の仕事と音楽の両立が自分の進む医療の道だと確信したという。

これからも、仲間と共に―

「音楽は人間の自然治癒力を高める重要なファクター」と断言する高村さんは、これからも音楽を大事にしていくという。「上手、下手の問題ではありません。心の健康と、身体の健康とは表裏一体のものです。私たちを支えてくれる音楽ですから、歳をとってメンバーの誰かが亡くなったときは、お葬式でも演奏して音楽で送ろうと皆で決めています」という。

健康のためにも音楽を

「医者として一言」とお願いすると、「適度の睡眠、運動、とにかくバランスの良い生活に心がけることです。病気を治すのは本人であり、医療はこれを助けるに過ぎません。健康のためにも音楽を愛してください」と、やっぱり音楽は欠かせないようだ。
高村さんは現在「zizi boys+nana」のメンバーとして、暇を見つけてはライブ活動を行っている。
妻や子どもたちも高村さんの音楽活動を温かく見守っている。
「今からでも遅くありません。健康のためにぜひ、音楽に親しんでください。カッコをかまわず……」と話す高村さんの心温まるお話と笑顔から、たくさん元気をもらってインタビューを終えた。         (取材・木俣)

 

素敵な人トップへ

本ページの情報は作成時のものであり、変更されていることがあります。あらかじめ御了承ください。

おすすめ情報

クルマでおでかけ!湖国ドライブガイド

おすすめアルバム

今週のプレゼント

おすすめランチ

Copyright © Yamapla Corporation. All Rights Reserved.

滋賀県のプランニングとデザイン、ホームページ制作をサポートする株式会社ヤマプラ