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掲載日: 2010.06.30

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認定音楽療法士 NPO法人淡海音楽療法センター理事長 聖泉大学非常勤講師 呉竹 英一さん(70歳・大津市在住)

県内の音楽療法の第一人者でもある呉竹英一さんが、70歳にして新しい世界にチャレンジ! 念願だった演歌歌手デビューを果たした。

デビュー曲は「北の島」。本人が20代のときに作詞作曲した曲で、島を離れた恋人を待つ切ない女心を、バリトンボイスでしっとりと歌いあげている。

歌手の夢をあきらめて教師に

小さいころから歌うことが大好きだった。「ちんから峠」「あの子はたあれ」で知られる童謡作詞家・細川雄太郎と家が近かった影響もあり、中学生のときには自分が作詞作曲したオリジナルソングを歌っていたという。

大学時代には「第九」の演奏会で800人をバックにソリストを務め、オペラ歌手にあこがれた。しかし、のどを痛めて夢を断念。療養を兼ねて北海道・奥尻島で中学校の臨時教師として子どもたちと音楽を楽しんだ。そのとき書いた曲がデビュー曲「北の島」だ。

その後、東京で2年間教師をしながらギタリストやアレンジャーとしても活躍。学校教育にギターを取り入れ、教科書用の曲も多数手掛けたほか、合唱曲集やギター曲集などを多数出版、ギターのレコードも出している。

プロとして新たな人生

東京から故郷・滋賀に戻り、中学校の音楽教師になった。20年ほど勤めたとき、特別支援学級の授業に音楽療法を取り入れて音楽が持つ力を肌で感じた。
95(平成7)年、日本音楽療法学会役員に就任、理事長で聖路加国際病院理事長の日野原重明さんの「70歳になったら新しいことを始めなさい」という言葉に刺激を受けた。

今までの人生を振り返りながら、何をするべきか考え、一度はあきらめた歌手に挑戦することにした。

クラシックや合唱、ギターなどさまざまな分野の音楽を手掛けてきたが、頭に浮かんだのは演歌。演歌こそが歌の本質をついていると感じていたからだ。

「オペラなどは歌のテクニック、声の美しさを披露する芸術ですが、演歌は芸術美よりも心が通じたときに生まれる感動を伝えるもの。歌い手と聴き手が通じ合える演歌をきっちりと歌ってみようと思いました」。

今までボランティアや音楽療法として人前で歌うことはあったが、プロになるとギャラが発生する。満足してもらえなければ二度と聴いてもらえないシビアな世界に身を置き、1人の歌手として新たな人生を歩もうと考えた。

今年の4月29日、大津市民会館の演奏会でデビュー。
年内には、音楽仲間や教え子たちが集まり、バンドの生演奏でCD制作を手伝ってくれることになっている。

お楽しみはこれからだ!

本日7月1日に70歳の誕生日を迎えた呉竹さんは、「既に第2弾、第3弾の曲も準備できています」とやる気十分になっている。

常に前を見て走り続けるのが身上で、電車に乗るときも前が見られる先頭車両の1番前に乗らないと気がすまないという。そのパワフルな姿は周囲の人にも元気を与えてくれる。

現在、大学で音楽療法と心理療法の講座を担当するほか、音楽療法の講演や執筆、ボランティアなど多忙な毎日を送っている。

実は70歳を前に始めたことがもう一つある。温泉療養アドバイザーだ。「温泉につかりながらゆっくりと演歌を聴いてもらえれば」と呉竹さんは笑う。

日野原さんの説によれば、60歳から人生の後半が始まり、70歳から新しいことに挑戦、75歳からは「新老人」の世界が始まるという。まだまだ先は長い。お楽しみはこれからだ!
(取材・福本)

 

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