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掲載日: 2014.04.23

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篠田の花火保存会 代表理事 久郷 勲さん(近江八幡市在住・72歳)

近江八幡で200年以上続いている「篠田(しのだ)の花火」(国選定無形民俗文化財)。毎年5月4日に近江八幡市の篠田神社に奉納される古式の仕掛け花火で、巨大な花火絵が約4000人の見物客を魅了する。戦争で一時期中断し、廃絶の危機にひんしたが、篠田の花火保存会の久郷勲(くごういさお)さんをはじめとするメンバーの奮闘によって、今日まで伝えられている。

新しい仕掛け毎年考案

花火奉納 仕掛花火 硫黄仕掛花火(前仕掛花火の乱舞)

花火奉納 仕掛け花火 ナイヤガラ銀滝

1543年に種子島へ鉄砲が伝来したわずか12年後、この地に火薬製造技術が伝えられ、火薬に必要な硝石(しょうせき/硝酸カリウム)作りが農民の副業となった。江戸時代中期になると、これらの技術を使って農民の娯楽として花火の神事が始まったという。
高さ10㍍、幅20㍍以上もの大規模な仕掛け花火が奉納されるようになったのは1980年からで、毎年新しい図案が考えられてきた。
保存会では古式にのっとって製造された火薬を使う花火を「和火(わび)」と呼び、化学薬品を使った花火「洋火(ようび)」と区別している。
大小さまざまな花火が打ち上げられた後、最後に大きな「和火」に点火された光景は、まさに「夜空に輝く芸術」と呼ぶにふさわしい。

「もっと奇麗に」

花火奉納 仕掛花火 硫黄仕掛花火(燃焼)

久郷さんは「篠田の花火」の火薬取り扱いの元締めを務める家に生まれた。2歳のときに父が亡くなり、小学2年生のときから自治会の会議に出席するなど、幼いころから花火にかかわってきた。第二次世界大戦で篠田の花火は一時期中断したが、52年に復活。54年に市指定文化財、58年に県指定文化財に選ばれた。
30年ほど前、火薬製造試験に合格した久郷さんは、同じようなモチーフの仕掛け花火ではなく、その年にあったタイムリーな話題をテーマとして取り上げ、絵柄に反映させるようにした。
「絵で感動を与えたい。硫黄の紫色をもっと奇麗に見せたい。火が確実に全体に回るようにしたい」
より素晴しいものを作ろうという久郷さんの情熱が約120人いる保存会のメンバーに伝わり、会の雰囲気は変わっていった。
85年、久郷さんは「建築で時代と信仰を視る」をテーマに、仕掛け花火の図案に鳴門大橋を提案。鳴門の渦潮を蚊取り線香のように描いて表現した。これが観客に好評で、農協の全国紙にも紹介された。

被災者を勇気づけたい

仕掛取付

東日本大震災が発生した2011年も、花火で被災者を元気づけようと予定通りに開催。その年の10月に福島県郡山市で開かれた「第11回全国伝統花火サミット」で全国の伝承花火の団体と共に花火を披露し、1万人の観客を勇気づけた。
「その日は途中で雨が降り出し、火が消えそうでしたが、『頑張れ! 頑張れ!』の大声援のもと、最後まで無事に続けられたときはうれしかったですね。花火は人を元気にする力があると感じました」
(取材・鋒山)

 

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