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掲載日: 2013.12.3

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日野高校教員・レスリング部顧問
地域総合型スポーツクラブ「日野クラブ」代表
滋賀県レスリング協会理事長
南 敏文さん(大津市在住・56歳)

レスリングの選手としてモスクワオリンピック日本代表に選ばれながら、運命のいたずらで出場が幻に。やりきれない思いを胸に日野高校の教諭に着任、レスリング部を創部した南敏文(みなみとしふみ)さん。以来32年、指導者として数多くのインターハイ出場選手を育て、世に送り出してきた。

五輪「不参加」失意の日々

とにかくオリンピックに出ることだけを考えて生きてきたという南さん。
大学時代、レスリング日本選手権6連覇、国体5連覇を達成。1980年には夢だったモスクワオリンピック出場の切符を手にした。ところが、旧ソ連のアフガン侵攻に対して日本は西側諸国と同調し、オリンピック不参加を決定。南さんのオリンピック出場は幻となってしまった。
仕方なく、目標を81年のびわこ国体に変えて滋賀県の職員になった。目標どおり、びわこ国体では優勝を手にしたが、しばらくは「燃え尽き症候群」の日々を過ごした。

指導者に見つけた天職

26歳で選手生活にピリオドを打ち、日野高校の教員になったが、もともと教員になりたいという強い希望があったわけではない。
「教師にでもなるか、教師にしかなれないという、いわゆる“でも・しか教師”でした」
着任した当時、校内は荒れていた。割れた窓ガラス、中庭に転がるロッカー……ヤンキーと呼ばれるような生徒が多く、良い意味でも悪い意味でも個性的だった。
南さんはさっそく、生徒の生活指導担当を命じられた。非行に走る生徒と取っ組み合いをすることもあった。雪の降る寒い日に、遅刻当番のために校門に立ちながら、辞めようかと悩むこともあったという。
着任して2年目、転機が訪れた。顧問をしていた柔道部の生徒たち6人と、レスリング同好会を作った。
生徒と一緒に汗を流し、練習が終わってから魚釣りに行ったりもした。「厳しい練習と、楽しい遊び」、このギャップが良かったのか、徐々に手ごたえを感じるようになった。
そして半年後、同好会は「部」に昇格、大会出場が可能になった。
目標が定まったことで、生徒もめきめきと成長。
創部2年でインターハイの団体ベスト8、個人の部で教え子の園田崇(そのだたかし)さんが全国2位になった。以来、全国レベルの選手がここから何人も育っていった。

教え子たちと世界目指す

2013年度の東京国体で優勝した
園田平さん(左)と

現役時代に訪れた海外では、学校のクラブではなく地域クラブで選手を育てるのが普通だった。そこではジュニアからオリンピック選手までが一緒に練習をしていた。
これを参考に10年前、南さんは卒業生らと地域総合型スポーツクラブ「日野クラブ」を設立した。ここでは園児から大人までが一緒に汗を流している。園田さんの3人の息子も日野クラブに所属し、2020年の東京オリンピック出場を狙えるレベルにまで育っている。
「目標に向かって誰でも7~8割まで頑張れますが、残りの2~3割を出し切るには、一にも二にも努力以外にはありません」と断言する南さん。努力することで自分の限界点=レッドゾーンに達し、それを超えようとさらに努力をし、伸びていく。限界点を超えたときの達成感は格別で、この喜びを知ることでさらに努力に拍車がかかるという。
「人それぞれ異なるレッドゾーンを見極め、そのタイミングを見つけて追い込んでやるのが私の仕事です。指導者は生身の生徒のその日の体調や心の状態をきちんと判断し、適切な追い込みをかける職人なのです」
(取材・福本)

 

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