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掲載日: 2013.01.16

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山田 富士子さん(近江八幡市在住・90歳)

日本は今、かつてない長寿社会を迎えた。老いをいかに生き生きと過ごすかが問われているといえる。山田富士子さんは若い時から会社経営に携わり、仕事以外にもさまざまなことにチャレンジしてきた。88歳で歌のレッスンを始め、90歳の今も若い人に交じって発表会のステージに立つ。若さの秘訣を聞いてみたら、予想外の話が次々と……。

子どものようにワクワク…

歌の発表会

「え、90歳?」……年齢を聞いて、思わず聞き直してしまうほどその表情は明るく、生き生きとしている。現在月2回、歌の個人レッスンを受け、昨年秋には発表会で3回目の舞台に立った。
趣味の絵更紗(大正時代に生まれた染織技法)も20年以上続け、作品集をまとめて知人に配布した。
もっと驚くのは、女学校時代の同級生と電話だけでなくメールでコミュニケーションしていること。
九州新幹線が開通したと聞けば家族で熊本へ出かけ、東京スカイツリー開業のニュースが流れると早々に東京へ出かけるなど、その元気さには驚かされる。

苦労を、苦労と思わないように努力

左は娘の山田祥子さん

山田さんは1923(大正12)年生まれで、今年満90歳。苦労知らずと思われているが、実はその正反対。
子どもの時に父親が事業で失敗。さらに15歳の時、母親が脳梗塞で倒れた。妹と弟の3人で母親をリヤカーに乗せて毎日のように治療に通った。その厳しさのあまり、ある月夜の晩、母親から「もう疲れた。皆でこの川にはまって死のう」と言われ、きょうだい3人で「死ぬのは、かなん!」とすがって泣いた。だが、看病むなしく母は55歳で他界。娘盛りの山田さんは幼い妹や弟の母親代わりとして頑張った。
結婚したのは1946(昭和21)年、終戦の翌年だった。相手は戦地から復員してきたばかりの印刷屋の長男。父が勧める見合い結婚だった。
ようやく落ち着いたと思ったのもつかの間、2年後、夫は生後10カ月の一人娘、祥子さんを残して病死。実父が病気で他界したわずか2週間後の七夕の日だった。
残された幼い祥子さんが「お父さんは?」と聞かれる度に「お星様」と空を指差し、周囲の涙を誘ったという。
嫁ぎ先の印刷工場を夫に代わって経営することになったが、幸い親戚や従業員の協力の下で会社は順調に成長した。
山あり谷あり、波瀾万丈の人生を歩んできた。

「人の和」「感謝」がモットー

「若さの秘訣は?」と尋ねてみたら「くよくよしないことですかね」。
また、「人の和」「感謝」を毎日心掛けているという。
チャレンジ精神は人並み以上だ。女性が自転車に乗ることすら、まだ多くなかった1957(昭和32)年にスクーターの免許を取得。その6年後には自動車免許も取って営業に回った。女性ドライバーとしては滋賀県下の草分け的存在だった。
90歳を迎えた今でも好奇心は旺盛で、積極的に外出するように心がけ、おしゃれも楽しんでいる。近ごろは小学生のひ孫の宿題をみることを日課にしていて「元気なうちは何か役割がないとねえ。頭の体操です」と、ほほ笑む。
人生に定年は無いということを教えられた。
(取材・越智田)

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