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掲載日: 2014.09.30

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学校法人近江兄弟社学園 理事長 池田 健夫さん(近江八幡市在住・72歳)

幼稚園・保育園から小・中・高校までを擁する近江兄弟社学園。その歴史の道のりは決して平坦ではなかった。一時期は生徒が集まらず、危機的な状況さえあった。今日の繁栄は理事長の池田健夫(いけだたけお)さんをはじめとする関係者の努力の結晶といえる。50歳で事務長、63歳で理事長に就任した“やや遅咲き”のリーダーにインタビューした。

劣等感に悩んだことも

勉強がよくできた2人の兄とは対照的に、子どものころから何をしても劣っていたという池田さん。「ひょっとしたら自分の親と、2人の兄の親とは違うかも?」と悩んだことがあった。 進学した大学は「ここなら自分も特待生になれるだろう」と思って選んだ東京の私立大学の漢文学科。だが間もなく自分が「井の中の蛙」であることを思い知らされた。漢文をサラサラと読みこなす優秀な同級生が珍しくなかったのである。 卒業後、埼玉の県立高校教師として赴任。いわゆる「荒れた学校」だった。しかし、自分自身が劣等感を背負ってきたので生徒の気持ちがよく理解できた。 「多くの教師が暴力を受けて逃げ出す中、私は暴力を受けるどころかむしろ、生徒から悩み相談を受けました」 どんな生徒にもキラッと輝くものがあることを実感し、多くを学んだ。5年間勤めて退職し、大学院に戻ってさらに勉強した後、故郷近江八幡の母校、近江兄弟社学園の高校教師となった。このとき池田さんは28歳。

学校の危機を乗り越え

ヴォーリズ平和礼拝堂

2年後、同学園の中学校へ転勤したがこのとき大事件が勃発した。それまで学園経営を支えてきた株式会社近江兄弟社が倒産したのである。中堅教師だった池田さんたちは焦ったが、結局、自分達が先頭に立って行動する以外に無いことに気が付き、保護者からシルクスクリーン印刷機を借りてきて生徒募集のポスターを印刷した。 「体育館の床一面に、夜なべで印刷したポスターを並べてインクを乾かしたことが、まるで昨日のようです」 ポスター貼りをし、各地でチラシを配って入学説明会を開くなど、懸命の努力が徐々に実を結んで来たころ池田さんの心にも変化が現れた。「もしかしたらこれで劣等感が乗り越えられたかも?」と自信が湧いてきたのである。

理想を掲げた、たくましい現実主義者

50歳で事務長に就任し、まず手掛けたのはプレハブ校舎を普通の校舎に建て替えるなどの施設拡充だった。 一方、クラブ活動に対しても、優秀な生徒を県外からスカウトして来るようなことを避けて在校生を大事に育てるよう努力した。 63歳で理事長に就任した。どんなに経営が苦しくても教職員のリストラを避けて努力した結果、学園経営が順調に軌道に乗り、1学年に2クラスだった高校は現在、10クラスに。英語を重視した国際コミュニケーション科も創設して国公立、難関私立大学などへ進学する生徒も多くなっている。 少子化についても対応し、シンプルで「広域から生徒を集めよう!」と早い時期から決断。スクールバスを28コースを走らせ、バスが足らなくなると市内のホテルのバスとタイアップして増便した。 「理想を掲げたたくましい現実主義者」。 池田さんを知る人はこう評価する。常に努力を続けてきた池田さんを最もよく表した言葉だろう。 (取材・越智田)

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