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大地からの贈り物 土を掘り続けて130年

掲載日: 2021.06.14

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泥家藤兵衛 4代目 橋 登喜雄(はし ときお)さん(野洲市在住)

野洲市大篠原を通る国道8号線から500mほど入った場所に「しのはら土」の採掘場がある。広大な粘土山を所有する橋 登喜雄さんは、ここで全国の陶芸家が愛用する希少なしのはら土を掘っている。最近では、幼稚園や保育園の砂場や中学校のグラウンドなどで使われる「しのはら砂」も生産している。

しのはら土の魅力

泥家藤兵衛の歴史は1896(明治29)年、初代捨吉(すてきち)が掘った土で灯篭を作ってもらい、国宝大笹原神社に奉納したのが始まりという。4メートル四方の区画を1年ぐらいかけてショベルカーや手を使い、4mほど掘り下げていく。採掘した土に水を加え攪拌(かくはん)し、泥にして水槽を何回もくぐらせ、フィルタープレスにかけて粘土を作る。「しのはら土は、釉薬(うわぐすり)を掛けて焼くと細かい奇麗な貫入(かんにゅう※ひび)や御本(ごほん※淡い紅色の斑点)が入り、そのまま焼くと美しい緋色になります」

納得のいく土を納品したい

大笹原神社の灯篭

橋さんは県立八幡商業高校を卒業し、森下製薬株式会社に就職した。「いずれ継ぐからしばらく外の飯を食わせてほしい」と、父に頼み込んだ末の就職だった。滋賀工場に16年間勤め、大阪本社で2年半システムエンジニアとして働いた。36歳のとき、かねてからの父との約束で、会社を辞め家業を手伝うことになった。
最初は焼き物の専門用語がわからず、会社員時代のように効率良く工程を進めるだけで、品質管理のことまで考える余裕はなかった。あるとき、人間国宝の故清水卯一先生から「この色でこの感触の土を探してほしい」と言われ、父が自信をもって土を納めたところ、先生は納得されないことがあった。何度も場所を替えて掘った土を持参してやっと気に入ってもらえたが、橋さんはその時の先生と父とのやりとりを、ずっとそばで見聞きしていた。
「父はお客様が納得してもらうまで手間をかけ土を掘っていました。1995年に父が亡くなりましたが、私は父の土に対するこだわりをずっと受け継いでいます」
機械で大規模に採掘するのでなく、ショベルカーでそっとすくって土置き場まで持っていき、くわやスコップなどを使って違う色の土が混ざらないよう丁寧に仕分けする。現場で直接手掘りすることもある。「何十年と触っているうちに土の状態がわかるようになりました。お客様に送る出荷明細書には、色の違いや粗さなどについて感じたことを添えています」

 

子どもたちに土に触れてほしい

水晶が混ざっていることもある

釉薬(うわぐすり)を掛けないで焼いたカップ

毎年地元の小学5年生が授業の一環として地層の学習にやって来る。いろいろな色が混ざった古琵琶湖層(太古の地層)の土を見る機会は珍しく、子どもたちは興味深い顔で熱心に耳を傾ける。「土の中に水晶が混ざってることもあるよ」と話すと子どもたちは大喜び。
子どもたちに土に触れてほしいと、工作用粘土も作っている。陶芸用粘土を作る工程で出る「しのはら砂」も人気だ。30年前に滋賀大学教育学部付属幼稚園でどろんこ遊び用にと注文があり、そこから県内各地の幼稚園や、全国の幼稚園、こども園へと広まった。NPO法人:幼年教育・子育て支援推進機構との関係も長い。「まだ何百年も掘り続けられるほどの粘土があります。たくさんの方に愛されるものを作り出していきたいです。掘ってみなければどんな土があるかわかりませんから。楽しみです」

 

●お問い合わせ
橋陶料(泥家藤兵衛)
滋賀県野洲市大篠原2040
TEL:077-587-0847

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