このサイトは、 これまで
「滋賀ガイド」に掲載された 岡田和夫さんの情報を まとめたものです。

運営責任及び版権は、
「滋賀ガイド」運営の
(株)ヤマプラにあります。
お問い合わせはyp@o-i.jp


岡田和夫 メール
kazuokada@nike.eonet.ne.jp

  001682  


このHPの更新方法








[59] 近江神宮での和時計展示
2014/06/10
「江戸時代の夜間時計 −燈前尺時計−」展

今年も6/10「時の記念日」に、近江神宮での「漏刻祭」後の和時計学会総会において、和時計を展示しました。 今回の展示は、暗い夜でも時刻を確認できる和時計で、数少ない燈前時計のうち、唯一完全な形で残る燈前尺時計です。

燈前尺時計 (とうぜん しゃくどけい)
 明治3年(1870年)製,京都・斎授堂作,巻物状の和紙に木版印刷された節板式文字板,真鍮機械,冠形(バージ)脱進機,髭ゼンマイ付き円天符,動作確認用秒針付き,文字板に在銘 「明治三歳庚午秋 御時計所 京蛸薬師通冨小路東へ入 斎授堂造」,全高36.5cm.

(1)燈前時計とは
 燈前時計は、和紙などに描かれた半透明な文字板を行燈(あんどん)などの明かりに透かして、夜間に影絵のように時刻を読む和時計です。 当時としては重要な「明かり」と「時」という2つの要素を結びつけたアイデアは素晴らしいと思われますが、現存数が非常に少なく、著者が確認できた範囲では、行燈組込型1台、懐中型3台、尺時計型1台の合計5台の記録があり、現存は4台しか確認できませんでした(表−1参照)。 また、文献への記載も少なく、製作時期などの詳しい解説も見当たりませんでした。 表−1を見ると、動力源にはゼンマイ式が多いことから比較的高級な部類に属すると思われ、懐中型携帯時計、髭ゼンマイ付きの円天符式調速機、シリンダー式脱進機のように和時計後期の特徴が比較的多く受けられます。 なお、江戸時代当時は季節や昼夜によって単位時間の長さが変わる不定時法が使われていたため、節気毎(半月毎)に文字板を変えていたと考えられますが、節板式紙文字板が巻物状で全て残されている燈前尺時計以外は、時計に付いている文字板以外は紛失していることが多いようです。
 ちなみに日本の燈前時計と類似したものに、西洋で用いられた夜間時計(Night clocks)がありますが、形状や構造も大きく異なり時代の隔たりも大きいと思われることから、燈前時計が夜間時計をモデルとした可能性は低いと推測されます。 夜間時計は、内蔵の植物油等を燃やすオイルランプで光を透過する文字盤が映し出されることにより夜に時刻を表示する置時計で、1600年代後半(江戸時代前期)頃にイタリアで上流階級向けに作られましたが、時打ちがなく動作音も静かでしたが精度が低く、一般的な置時計の普及と共に衰退し発展しませんでした。

(2)燈前時計の推定製作年代
 明確な製作時期は不明ですが、燈前尺時計は文字板の銘から明治3年(1870年)に作られたことが判り、外国製部品と考えられるシリンダー式脱進機を利用した懐中型携帯燈前時計は恐らく幕末〜明治初期頃(1800年代後半)と大雑把な推測は可能です。 また、下記のような推測では、夜間営業の大店(おおだな)で安政2年(1855年)前後から明治初期(1870年代)の間に用いられたのではないかと想像できます。
 江戸時代末期に都市で産業が発達してくると、夜間も活動が活発になり、明かりの需要が拡大すると共に、夜店のような夜間営業の商業活動も発展して行き、夜でも時刻を知りたいという要求が出てくることが想像できます。 大勢の人が任意に時刻を知るには時計の鐘の音ではなく文字板を視認することになりますが、ほの暗い行燈の明かりに照らされた和時計では、文字板が小さくハッキリ見えなかったと思われます。 そこで、行燈の明かりに透かして時刻を読む燈前時計が登場したのではないかと想像されますが、当時の時計は高価で、規模が大きな商店しか燈前時計を持てなかったと思われます。 ちなみに、心斎橋筋北商店街Webページの発足年表によれば、延宝4年(1676年)に大坂・順慶町通に幕府から夜間営業が許可されており、この前後から夜店が並び始めたと思われ、安政2年(1855年)に大坂を訪れた儒学者・清河八郎の旅日記である「西遊草」には、大店も近年の不景気で夜間営業するようになったとあり、この頃には大丸などの大店も夜間営業していたことが確認できます。 先の推測に照らせば、燈前時計は夜間営業の大きな商店で安政2年(1855年)前後から用いられたのではないかと想像できます。 しかし燈前時計の供用期間は、長くは続かなかったと思われ、明るく隅々まで照らす便利な石油ランプと、白く大きな文字盤を備え夜間でも時刻が認識しやすいボンボン時計が、明治初期(1870年代)に急速に普及することにより、瞬く間に淘汰されたと想像できます。 燈前時計の現存数が少ないことは、主に夜間に使うという特殊な用途で需要が多くなかったと思われることと、登場した時期が幕末とすれば、淘汰される明治初期までの期間が短かったこととも符合します。
 また、憶測ですが、下記のとおり早くから夜店が開けた商人の町・大坂で、燈前時計の使用が始まった可能性も想像できます。 @天保5年(1834年)に大坂を訪れた江戸時代後期の戯作家・畑銀鶏が、「街能噂(ちまたのうわさ)」の中で夜店は大坂で始まったと書いています。 A当時は大坂近郊で栽培された菜種油が大坂の油問屋を通じて全国に販売されていました。 B天保期頃(1830年代頃)には、高価なロウソクに比べて比較的安価な菜種油を強制的に供給することにより、長時間安定して明るい無尽燈が滋賀と京都で考案されていました。

(3)燈前尺時計の特徴
 この燈前尺時計(写真−1左参照)は、表−1の中で、季節によって変更する13枚分の替文字板(節板)が一式揃った状態の唯一の完全体で、唯一の尺時計タイプの燈前時計になります。 昼間は普通の節板式尺時計ですが、夜間になるとケースの裏側に開けられた開口部から行燈の光が入り、文字板が明るくひかり時刻が判ります(写真−1右参照)。 他の燈前時計では、季節によって変更する13枚分の替文字板のうち残り12枚を別に保管する必要がありますが(多くの場合は紛失している)、この燈前尺時計では2本の支持棒に巻物状に巻きつけられた和紙に、全ての季節の文字板(節板)が並んで木版印刷されているため、替文字板の別保管が不要になり、紛失することなく半月毎に支持棒を回して文字板を変えることができます。 和紙製文字板に木版印刷された銘 「明治三歳庚午秋 御時計所 京蛸薬師通冨小路東へ入 斎授堂造」(写真−3参照)から、京都の斎授堂が明治3年(1870年)に製作したことが確認できます。 厳密には明治時代初期ですが、明治5年(1872年)の改暦までは不定時法が用いられており、江戸時代に用いられていた不定時法の最末期の頃で、広い意味で江戸時代に含まれます。 前面から動作が確認できるよう秒針が付いており、機械正面上部に1,2,3とアラビア数字が書かれ約15秒で一周します。

(4)燈前尺時計の構造
 ケース内の鉛でできた重錘を左右に分割し(写真−2参照)、ケース本体の裏に文字板に近い大きさの開口部を開けることにより(写真−2参照)、裏側から導かれた行燈などの光が巻物状の和紙製文字板を透過し、時刻を指し示すように作られています。 また、文字板下部の支持軸を回すことにより巻物状の和紙製節板式文字板が変更でき(写真−4参照)、変更した文字板の平面を保てるように文字板の位置を固定するクリック機構が設けられています(写真−5参照)。 簡単な構造ですが、節板式尺時計の特徴を上手く利用して、ゼンマイを用いず安価に燈前時計を実現しています。



[58] 日本テレビ「世界一受けたい授業」への写真提供
2014/03/29
NPO法人「時計BUNKA」副理事長として取り組んでいる「時計保存活動」のPRの一環として、2014年3月29日(土)に放映された日本テレビ『世界一受けたい授業』3時間スペシャルへ、「江戸時代からあった意外なもの」として紹介された、円グラフ懐中和時計の写真を無償提供しました。

(参考) 「時計保存活動」
 時計を通じた社会貢献を目指すNPO法人、「時計BUNKA」副理事長として取り組んでいる「時計保存活動」とは、生涯を賭けて集めた時計コレクション一式を公立博物館などへ無償で一括寄贈し、「文化財」として次世代へ伝える活動です。 2020年目途に完遂を目指しており、現在は、以前から展示協力をしている兵庫県の明石市立天文科学館など、安心して託せる寄贈先を探している状況にあります。
 時計コレクションは、国産腕時計を中心に日本の時計の歴史が分かるように体系的に収集した、江戸時代の和時計からクォーツ腕時計までの1000点以上で、重要文化財クラスの時計も数点含み、購入総額は1億円以上になります。 寄贈後の基金として、死亡保険金約5000万円も併せて寄付します。
 愚か者と言われてもバカにしか出来ないことがあると信じており、文化財である時計を守り次世代へ残すことは誰かがやらなければならないことで、これが自分の使命で与えられた役割だと思っています。 苦労も多いですが「時計バカ」として自分の好きなことをやり通せて、生きた証を末永く後世に残せ、社会の役に立つなら一石三鳥で本望です。
 未来の世代へささやかな贈り物が残せるよう、坂本龍馬のように百年先を見据え、残る人生を賭して夢に向かって邁進し、損得勘定なしで初志貫徹します。 まだまだ課題も多く前途多難ですが、皆様の応援を宜しくお願い致します。



[57] 和時計学会誌への論文掲載
2014/03/01
和時計学会誌「和時計46号」に、「変則的二挺天符機構の紹介(1)」論文掲載(本文1頁+添付20頁)。

1−1(始めに)
 昼夜や季節によって単位時間の長さが変わる不定時法に対応した和時計の特徴的な機構の一つとして、昼夜で棒天符を自動的に切り替える二挺天符機構が知られていますが、一般的な二挺天符機構(以下では「一般形二挺天符機構」と呼ぶ)とは構造の異なる物が少数ながら見受けられます。 これらには、初期の二挺天符機構で棒天符の切替機構が異なりガンギ車が一つしかない「藤車(ふじぐるま)式二挺天符機構」(別途報告予定)や、江戸時代中期〜後期の変則的二挺天符機構が確認できますが、ここでは二種類の変則的二挺天符機構を2回程度に分けて紹介したいと思います。

1−2(概要)
 一つ目の変則的二挺天符機構は、2009年の国立科学博物館研究報告(添付−1、本誌18〜37頁参照)で発表された、江戸時代後期の文化文政期(1804〜1830年)頃に福井県若狭地方で活動したと考えられる兼松正富らが作った二挺天符櫓時計です。 この櫓時計は、一般形二挺天符機構では鐘柱の前後にある二挺天符が両方とも鐘柱より前方にあり、同様に一般形では上部前方にある目覚機構が上部後方に配された特徴的な構造を持っています。 同研究報告では執筆当時に存在が確認された国内外の6台の櫓時計について論じていますが、無銘ながら同様の特徴的な構造と意匠等の類似性から同一工房で作られたと考えられる、新たな櫓時計が4台追加確認できました。 同一工房作と考えられる櫓時計が合計10台確認できる非常に稀な例と思われ、その内の一台は時代が古く構造が少し異なる初期の物と考えられ、改良の推移が推測できます。
 二つ目の変則的二挺天符機構は、大名時計博物館に展示されている木製の二挺天符櫓時計です。 この木製櫓時計は、江戸時代中期の元文二年(1737年)に新潟県越後地方の荒井与市が作ったと伝えられており、主要な部分は木製で作られ、昼夜の棒天符の金属製の軸部分は共通で木製の竿部分のみを持ち上げて切り替えられる特殊な構造になっていると推測されます。 著者は同様な構造を持つ和時計を他に知らず、材質や機構の異なるユニークな和時計と思われます。
 両者とも、二挺天符機構に最も多く見られる棒天符軸交互押上式切替機構と二重ガンギ車を採用した一般形二挺天符機構と一部類似しており、考案時期も一般形二挺天符機構より新しいと考えられることから同機構から派生したものと推測でき、構造の弱点の補完や材料の制約を克服するために改良された考案と思われます。(次回へ続く)



[56] 近江神宮での和時計展示
2013/06/10
「江戸時代の懐中時計 −円グラフ懐中和時計−」展

今年も6/10「時の記念日」に、近江神宮での「漏刻祭」後の和時計学会総会において、和時計を展示しました。 今回は、数少ない機械・ケース共に国産と考えられる、希少でユニークな直径約7cm厚さ約4cmの幕末頃の円グラフ懐中和時計です。

円グラフ式文字盤は、季節によって変わる不定時法の時刻の変化を波板式尺時計のようにグラフの形で表現し、時間が途切れることなく連続して循環するように円環状にした特徴的な文字盤で、掛時計や硯屏時計など国内外に5台しか現存が確認されていません。 この円グラフ懐中和時計は、時刻を表示する個々の割駒の位置を手動で調節しなければならない割駒式文字盤以外の文字盤を用いていることが確認されている唯一の携帯用和時計で、割駒式文字盤に比べて円の内側ではグラフが少し込み入って多少視認性は劣るものの、節気毎(半月毎)に多くの割駒位置を変更する手間が不要で、季節に応じて指針の長さを調整するだけで良く、位置変更に伴う割駒位置のズレもなく、より正確な時刻を表示できる特徴があります。

円グラフ懐中和時計は、携帯用和時計の利便性や精度の向上を目指した取り組みを示す新たな発見として、意義深く貴重な和時計と言えます。



[55] 和時計学会誌への論文掲載
2013/03/01
和時計学会誌「和時計45号」に、「文献で確認できた京都の時計師」論文掲載(本文15頁)。 長期入院で「不定時法自動表示和時計の概要(その4)」が完成できなかったため、二挺天符機構の調査の一環で数年来調べてきた江戸期などの文献に現れる京都の時計師を参考に纏めました。 内容は、延宝六年(1678年)から明治35年(1902年)までの文献18件で確認できた京都の時計師を一覧にしたもので、疑問点など特記事項を注釈しています。


[54] 明石市立天文科学館への展示協力
2012/07/14
プラネタリウム長寿日本一を記念して明石市立天文科学館で開かれている、特別展「たのしいはぐるま展」への展示協力として、国産初期の掛時計「播陽(ばんよう)時計」を貸し出しました。

「播陽時計」は、明治21(1888)年から姫路で作られた、国産掛時計黎明期の珍しい掛時計です。 播陽時計を作った「播陽時計会社」の前身は、旧姫路藩士による授産事業として明治8(1875)年に設立された「原月社」を起源とし、「開成社」と呼ばれていた明治16(1883)年には八角時計を製造できる状態に至っていたと考えられています。 「開成社」は明治20(1889)年に実業家へ売却されて社名の変遷の後、「播陽時計会社」として明治21(1888)年から明治23(1890)年の間に同掛時計を量産しました。 「原月社」の設立は、明治13(1880)年に国産初の掛時計を作ったと言われている東京の「金元社」の設立と同年で、同社は最古級の起源を持つ国産掛時計製造会社です。

特別展 「たのしいはぐるま展」
期間:平成24年7月14日(土)〜同9月2日(日)
場所:明石市立天文科学館(兵庫県明石市 http://www.am12.jp/ )



[53] 日本ばね工業会「ばねの歴史」口絵に無尽灯調査結果の一部掲載
2012/05/01
江戸時代後期頃の植物油を用いた改良型灯火器である無尽灯の調査において、近江国・膳所藩の金工・奥村菅次寿景により文化六(1809)年頃から作られたとされている無尽灯に使われたばねが、国産初のコイルばねである可能性が判明し、2012年5月に日本ばね工業会から発行された「ばねの歴史」の口絵に掲載されました。 ただし、現時点で公表されている資料に基づき判断した場合の結果であり、現在継続中の研究により結論が変わり得る可能性があります。


[52] 近江神宮での和時計展示
2012/06/10
「江戸時代の懐中時計 −不定時法と定時法−」展

今年も6/10「時の記念日」に、近江神宮での「漏刻祭」後の和時計学会総会において、和時計類を展示しました。 今回の展示品は、江戸時代後期に不定時法と定時法という異なる使い方がされた2種類の懐中時計と、明治五年の改暦前に発行された3種類の洋時計の読み方解説書、幕末頃の定時法懐中洋時計が描かれた引札です。

現在我々が用いている定時法に改められた明治五(1872)年の改暦まで、日本の一般社会では不定時法が用いられていたことは周知の事実ですが、少なくとも江戸時代中期頃には上流階級の一部などで定時法の洋時計も用いられていました。 また、江戸時代後期の文化文政年間(1804〜1829)には、不定時法の和時計が庄屋などにも普及すると共に、並行して相反する定時法の洋時計の使用も拡大していき、明治五年の改暦へ繋がっていったと考えられます。

そこで今回は、江戸時代後期に異なる使い方がされた、2種類の懐中時計を展示します。 日本で改造され不定時法で用いられた「@ 薄型金無垢和前懐中時計」と、定時法のまま用いられた大きな「A 中三針懐中形時計」で、共に中国向けに作られたと考えられる外国製の懐中時計が江戸時代に日本へ持ち込まれた、古渡りの懐中時計で見掛けることが少ない珍しいものです。

江戸時代後期の国産印籠時計などの携帯用時計は非常に高価なものでしたが、高性能だった舶来懐中時計は更に高価なため、一部の上流階級しか持てなかったと考えられます。 今なら「セレブ御用達」とでも言えそうなステータスシンボルで、当時の上流階級が愛用したと思われる憧れの時計を御覧ください。 また、両者を見比べることにより定時法の利便性を実感していただき、改暦の意義を知っていただければ幸いです。



[51] 明石市立天文科学館への展示協力
2012/06/09
ミニ企画展 「おもしろ腕時計@ −非対称の美−」
期間:平成24年6月9日(土)〜同12月上旬(予定)
場所:明石市立天文科学館(兵庫県明石市 http://www.am12.jp/ )

ゆがんだ形のケースなどが個性的な腕時計。機能性一点張りから個性も求める時代へ成熟していった、1960年代(昭和40年前後)を中心とした国産の変形腕時計を12個ならべました。奇抜なデザインで個性を表現する腕時計の、非対称な形の美しさやおもしろさを御覧ください。

特に6月9日(土)10日(日)は、「時の記念日」を記念して同館が無料開放されます。半期毎に更新している12点の小さな展示ですが、何かの機会に御覧いただければ幸いです。



[50] 和時計学会誌への論文掲載
2012/03/01
和時計学会誌「和時計44号」に、「不定時法自動表示和時計の概要(その3)」(旧題:自動割駒和時計について)論文掲載(本文19頁,添付15頁)。 内容は、不定時法自動表示機構のうち「カム方式自動割駒式文字盤機構」の総括で、円グラフ文字盤自動伸縮指針機構との関連、単独駆動腕方式着想の推論、カム方式自動割駒機構の精度などに関する新たな考察を含む。




合計 77 の記事があります。 21 番目から 30 番目の記事を表示

ページ:[ << 1 2 3 4 5 6 7 8 >> ]