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[79] 世界初の自動巻腕時計であるルロワ自動巻腕時計の考察 (Leroy automatic wristwatches)
2022/01/01
100年前に作られた世界初の自動巻腕時計である、ルロワ自動巻腕時計の特徴を考察しました。 今回は結論のみですが、媒体が決まり詳細な写真撮影などが完了すれば、全文を発表する予定です。

(結論)
ルロワ自動巻腕時計の特徴は、次のように要約できる。
・前期ルロワ自動巻腕時計は、1922年3月に注文を受けてフランスのルロワ社のレオン・ルロワにより4台作られたマーキス形の二針時計で、注文主でありアブラアン−ルイ・ブレゲの時計の著名なコレクターで機構にも詳しかった英国のデイビッド・ライオネル・サロモンズ卿へ、同年9月に2台が販売された世界初の自動巻腕時計である。 また、後期ルロワ自動巻腕時計は、小秒針が付いたマーキス形で、標準化された類似の構造により1929年に作られた2台が確認されている。
・ルロワ自動巻腕時計のゼンマイ巻上方法は、自動巻懐中時計のルコルドン特許(英国特許1249号、1780年認可)に追加されている、レバー式の両方向巻上機構の概念図(図12、写真4参照)のアイデアを最初に実現したものと推測できる。 なお、ルコルドン特許のアイデアはアブラアン−ルイ・ブレゲが考案し、権利を確保するためにルイ・ルコルドンへ提供された可能性が指摘されている。 また、爪車式の両方向巻上機構は、1778年頃に全回転ローター式の自動巻懐中時計としてベルギーのユベール・サートンが考案したが、懐中時計では実用性が低く直ぐに淘汰されている。 よって、ルロワ自動巻腕時計は、腕時計での両方向巻上の優位性を理解した上で、錘が上下どちらに動いてもゼンマイを巻上げる効率的な両方向巻上機構を、腕時計で初めて採用した画期的な製品であったと考えられる。

また、最初に作られた4台のルロワ自動巻腕時計の内訳は、現時点で確認できた情報から解釈の一つとして次のように推測できる。
・4台のうち確認できる3台は、錘の開口部の大きさや機械番号などから判断して、写真1の@、写真2のA、写真3のBの順に作られたと推測できる。
・AとBのみが英語表記の社名で、他に確認できるルロワ社の自動巻腕時計や自動巻懐中時計は全てフランス語表記の社名になっていることから判断して、AとBがサロモンズ卿に販売された2台と推測できる。
・「2−1922」と刻まれた@の錘の刻印から判断して、1922年3月の発注に対して同年2月の完成はあり得ず、@は2番目に作られたと推測できることから、最後に残った未確認の4番目(C)は最初に作られたと考えられ、@に近い構造と推測できる。
・@と未確認のCは、製作されたと考えられる順序と構造の違いから判断して、AとBを完成させるために試作品として作られたと推測できる。
・よって、4台の内訳は、試作1号機(未確認のC)、試作2号機(@)、サロモンズ卿へ販売された2台(AとB)と推測できる。 また、@からBには試行錯誤の形跡が確認でき、Bは1922年に作られた前期ルロワ自動巻腕時計の最終型になると考えられる。

(所蔵・出典)
写真1(@):「The History of the Self-Winding Watch 1770-1931」 Alfred Chapuis & Eugène Jaquet著 1956年 グリフォン版 226頁142図143図より引用
写真2(A):岡田和夫蔵
写真3(B):ルロワミュージアム蔵
写真4:「The History of the Self-Winding Watch 1770-1931」143頁59図より引用



[78] 近江神宮での小型両面からくり枕時計の展示
2019/06/10
 今回は、江戸時代末期(1800年代中期)頃に作られた、小型の両面からくり枕時計を展示しました。
 この和時計は、表裏両面に和時刻と洋時刻を表示する機能があり、金メッキされた真鍮製ケースの枕時計という、非常に珍しい2つの特徴があります。

(両面和時計)
 両面に文字盤を持つ和時計は、1815年の両面垂揺球儀(写真−6)、太平洋戦争で焼失したと思われる1820年代頃の大沼宗賢作円グラフ文字盤自動伸縮指針大型両面枕時計(写真−7)、米国へ輸出され所在が不明な1840年代頃の三宅正吉作自動割駒両面枕時計(写真−8)と、今回の枕時計(写真−1)の4台しか確認できず非常に珍しい。
 これらの両面和時計は、ストップウォッチやカレンダーが裏面に付いた西洋の多機能懐中時計などのアイデアを、模倣したものと思われます。 両面時計は両方同時に見ることができないため、表裏両面の機能を一方に集約した方が便利なはずですが、限られたスペースで単純な構造により2つの機能を得るため、歯車の車軸の両側を使って両面時計にしたと考えられます。
 写真−6や写真−7は表裏で機能が大きく異なり、どちらかというと実用的な要素が大きいようです。 一方、写真−8や写真−1は和時刻と洋時刻を示す比較的単純な機能で、非公式ながら正確な洋時刻の利便性が認識されて市井の富裕層にも洋時計の使用が広まったことを背景に、金持ちの道楽のような遊びの要素が大きいと思われます。

(特徴)
 まずこの4台は、両面時計であることを除いても、どれも特殊な機能か意匠を持った最新で珍しい機種です。
 写真−1の枕時計は、季節に応じた和時刻(不定時法)の割駒位置を手動で調整する、一般的な割駒文字盤が表面にあり、スイスなどから中国へ輸出された広東時計の部品が流用されたと思われる、二針(時針と分針)の洋時刻(定時法)のエナメル洋文字盤が裏面にあります。 裏面の洋文字盤側には時針と分針を動かす日の裏車が必要なため、打鐘数を決める雪輪が卓上時計のように表側にあり、鐘を打つ打方機構が右側にあるなど、一般的な後期の枕時計と機械構成が少し異なります。
 また、和時計の枕時計に使われたケースのほとんどは、家の中で使われたブラケットクロックのように木製で作られ、写真−9のような落ち着いた紫檀材が多く使われていますが、旅行用のキャリッジクロックのような金属製ケースの枕時計は他に確認できず、この点でも写真−1の枕時計は非常に珍しい。 恐らく派手好みの豪商などが道楽で絢爛豪華な金メッキ真鍮製ケースを作らせたと思われ、大切に使われていたようで金メッキが残り、掌に収まる大きさから愛玩用と想像されます。
 この写真−1の枕時計の意義は、希少な両面時計に工夫され新たな機能が追加されていること以外にも、富裕層に洋時計の使用が広まっていたことを具体的に示すと共に、枕時計の意匠にキャリッジクロックが影響した可能性を見いだせることだと思われます。
 なお、この写真−1の枕時計と写真−6は、名古屋の老舗時計店主で時計コレクターとしても有名だった堀田良平氏が旧蔵していたもので、この枕時計は有名な和時計文献である1960年の塚田泰三郎著「和時計」の巻頭に白黒写真が掲載されています。

小型金鍍金真鍮側両面枕時計
江戸時代末期(1800年代中期)頃,金メッキ真鍮製ケース,金メッキ真鍮製丸形機械,髭ゼンマイ付き円テンプ,冠形脱進機,表面に回転文字盤式割駒文字盤,裏面に二針エナメル洋文字盤,全高約13cm



[77] 人を探しています!!
2019/05/23
 2,3年前に、1994年に発行された「世界の腕時計17号」の記事「オイスターパーペチュアルの最初期モデルはどんなものか?」について、電子メールで問い合わせていただいた方を探しています。

 大変申し訳ございませんが、母の長期入院に追われて返信できず、故障によるパソコン交換で電子メールが無くなってしまいました。

 御連絡を御待ちしております。



[76] 日本古時計クラブ会報200号(最終号)への論文投稿
2019/05/01
最初期型オイスターパーペチュアル・フラットローターモデルの考察(A4サイズ18ページ)

(1 前書き)
 1994年に発行された「世界の腕時計17号」の記事「オイスターパーペチュアルの最初期モデルはどんなものか?」に於いて、ロレックス初の自動巻腕時計で実用的な最初期型オイスターパーペチュアルの特徴を発表したが、記者のミスによる写真間違いなどで真意が伝わり難い状態であった。また、その後の研究も2002年の交通事故により写真などの資料の多くが紛失したため中断していたが、インターネットの普及で新たな情報が得られ、より詳しい特徴が明らかになったので発表したい。

(2 結論)
・確認できた最初期のロレックスオイスターパーペチュアルは、手巻ゼンマイの小秒針8-3/4型キャリバーを用いたフラットローター機械、ケース番号011000番台(最小確認番号011442番)のリファレンス番号1858番STEELIUM製パリス環式3ピースケースで、1933年中頃から製造が開始されたと考えられる。

(2 結論)
・確認できた最初期のロレックスオイスターパーペチュアルは、手巻ゼンマイの小秒針8-3/4型キャリバーを用いたフラットローター機械、ケース番号011000番台(最小確認番号011442番)のリファレンス番号1858番STEELIUM製パリス環式3ピースケースで、1933年中頃から製造が開始されたと考えられる。

・8-3/4型フラットローター機械の特徴は、表−1のように推移すると考えられる。

・後継機のNAキャリバーは1936年頃に登場し、当初の8-3/4型フラットローター機械はNAキャリバーに切替後も暫く生産され、後期の8-3/4型フラットローター機械を利用し2ピースケースに収めたボーイズサイズの新ARキャリバーは1937年頃に登場したと考えられる。
・8-3/4型フラットローター機械の特徴は、表−1のように推移すると考えられる。



[75] NHK総合テレビ『まちけん参上!〜あなたの街のおもしろ検定〜』出演
2019/04/15
平成31年4月15日(月)にNHK総合テレビで放映された『まちけん参上!〜あなたの街のおもしろ検定〜』に出演しました。


[74] 日本古時計クラブ会報199号への投稿
2019/04/20
深遠なる和時計(「季刊iichiko」133号67〜79頁)

 長らく御無沙汰しております。 ここ2年ほどは母の長期入院と永眠、度重なる台風被害、和時計学会誌上での論争と学会誌の休止などのトラブルが相次ぎ、体調不良で長らく日本古時計クラブへも参加しておりませんでした。 後継者不足で日本古時計クラブも会誌「古時計」200号を最終号として解散することが決議されたため、2017年1月発行で多少旧聞ですが和時計の参考になればと思い、麦焼酎「いいちこ」で有名な三和酒類株式会社から発行されている文化誌「季刊iichiko」133号に掲載されたインタビュー記事の転載を投稿しました。

 インタビュアーの菊野昌宏氏は、独立時計師協会に入会を認められた2人の日本人のうち日本初の正会員で、自ら設計した独自の腕時計の歯車など多くの部品を自分一人で製作し、1000万円台の腕時計を年に1台ほど受注生産されている若き独立時計師です。 独立時計師協会(AHCI)は、個人で独創的な時計を創る時計師たちにより1984年にスイス・ジュネーブで設立された国際的な団体で、数十人の独立時計師が在籍し、18世紀頃の天才時計師アブラアム・ルイ・ブレゲの時計の研究でも有名な故ジョージ・ダニエルズや、腕時計メーカーとしても有名なフランク・ミュラーのような時計師も参加していました。

 なお、同誌72頁の扇板式自動割駒櫓時計の真贋論議については、例年どおりの投稿募集がなされていないようなので当然かもしれませんが、和時計学会誌への投稿希望者が私以外にいないらしく、掲載中のテーマが複数あるため誌面のボリュームが足りても私一人のみの投稿では発行できないとの理由で、2年前から学会誌が休止になっているため、指摘事項も一部しか掲載されていないような状況です。 しかし、どちらが正しいにせよ今後のためにも論議を深めるべきと思っており、最終的には自費出版してでも残りの指摘事項を発表する所存です。

 最後に、記事の転載を御快諾くださった季刊iichiko編集室の柳田京子様に感謝を申し上げます。



[73] 和時計研究などの取り組みの新聞紹介
2017/10/24
日経新聞H29.10.24(火)朝刊48面に、和時計研究や時計保存活動の取り組みが紹介されました。


[72] 関西テレビ『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』出演
2017/08/08
 2017年8月8日火曜日に放映された、関西テレビ『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』において、「となりの人間国宝さん」に認定されました。


[71] 近江神宮での和時計展示の新聞紹介
2017/06/11
産経新聞H29.6.11(日)朝刊24面滋賀版に、近江神宮での天文からくり和時計の展示が紹介されました。


[70] 近江神宮での和時計展示の新聞紹介
2017/06/10
朝日新聞H29.6.10(土)夕刊3面近畿版の「時紀行12」に、近江神宮での天文からくり和時計の展示が紹介されました。




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